第十二回 『鬼滅風 俳句の呼吸! 字余りと字足らず』

第十二回 『鬼滅風 俳句の呼吸! 字余りと字足らず』
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みなさんこんにちわ。
『俳句大学 表現学部』の第十二回講義です。

前回は、
「押韻」、「反復法」、「対句表現」
について解説しました。

今回は、
「字余り」と「字足らず」
をまとめて紹介します。

字余り/字足らずとは?

字余りとは、定型の「五・七・五」より音数が多い俳句のことです。
本来は合計十七音のところ、字余りは十八音以上になります。

反対に音数が少ないパターンは字足らずと言います。
字足らずは十六音以下になります。

字余り/字足らずの例

 

字余りも字足らずも破調の一種ですが、定型詩としての韻律を完全に無視するわけではありません。

そのため音数の変化は、一般的に「五・七・五」のなかの一音節のみ(赤字部分)にとどまります。
過半におよび変調することはほぼありません。

この条件に当てはまれば、総音数にかかわらず一律に字余り/字足らずと呼びならわします。
逆に小さな音数変化でも韻律が失われれば「自由律」というべつの詩型とみなされます。

つまり字余り/字足らずは、定型詩の枠のなかで一部分の音数だけを変更するアクセサリーであると言えます。

実際の俳句で確認してみましょう。

河東碧梧桐の作品から、定型と字余りを上下に並べてみます。

 ・ 蕎麦白き道すがらなり観音寺  河東碧梧桐

 ・ 赤い椿白い椿と落ちにけり  河東碧梧桐

見やすくするため、カナにひらいてみます。

 

さらに音数を抜きだすと、下図のようになります。

 

こうして比較すると、下句は上句より上五の部分が一音多くなっているのが分かります。
一方で、中七・下五の部分に音数の差違はありません。
これが「上五字余り」に当たる例です。

逆に、もしも定型より音数が少なく

 

となった場合は、「上五字足らず」に当たります。

以上が字余り/字足らずという言葉の意味です。

韻律の乱れとのちがい

このように、定義のうえでは

 

となりますが、じつは単純な音数のズレを意味しているわけではありません。

字余り/字足らずは、れっきとした表現技術です。

国民的マンガとなった『鬼滅の刃』に「水の呼吸!」とか「火の呼吸!」とか、かっこいい呼吸法が登場しますよね。
あれとおなじで、何らかの効果を得るために意図して用いる音型が字余り/字足らずに当たります。

 

引用:©吾峠呼世晴 集英社 鬼滅の刃 Twitter用アイコン

つまり結果的に字が余った/字が足りなかったという状況とは、まったく意味が違います。

はじめのうちは混同しやすいので、まずは両者の違いを把握しましょう。

有季定型俳句とは、そもそも「五・七・五」の短い韻律のなかで季語の力を借りて写生する文芸です。

おおもとのコンセプトになっているように、原則として「定型詩であること」が前提条件です。
ゲームのルールと言っても良いでしょう。

したがって、音数にズレがあるとふつうは呼吸の乱れに直面します。

 ・ある言葉を使ったら字が余った/字が足りなくなった
 ・これ以上どうしようもなくて字が余った/字が足りなくなった

……など結果的に音数がズレた俳句は、呼吸で言えば窒息状態。
どのような事情があったとしても、「韻律が乱れている」と評価されます。

一方、字余り/字足らずは、目的をもって呼吸をコントロールするテクニックです。
あえて音数を伸ばしたり縮めたりして特殊な効果を生みだすのが狙いですから、単なる韻律の乱れとは本質が異なります。

それが「単に音数のズレを意味しているわけではない」という説明の意味です。

結論として、字余り/字足らずは、目に見える音数変化のほかに、はっきりとした使用目的が欠かせないと言うことができます。

代表的な効果「間」

では「水の呼吸!」みたいなかっこいい効果を得るためには、どうしたら良いのでしょうか?

わざわざ韻律を変形するわけですから、必要性と効果を天秤にかけて、相応のメリットを得なければ意味がありません。

 

そのためには、まず字余り/字足らずの特性をよく知る必要があります。
字余り/字足らずには、いったいどんな効果があるのでしょうか?

その最たる例が「間」です。

空間的、時間的なひろがりを音数に託す仕掛けとも言えます。

これだけでは分かりにくいので、達人に具体的な用例を教えてもらうことにしましょう。
もう一度、例句を振りかえってみてください。

 ・ 赤い椿白い椿と落ちにけり  河東碧梧桐

本句は「上五字余り」でしたね。
「赤椿」とすれば定型になるところを、あえて「赤い椿」と綴り、ワンテンポ呼吸を遅らせています。

ここに「間」をおいているのです。

もう少し詳しく解釈すると、上五を六音にすることで、「赤い椿」から「白い椿」に至るまでの時間を延長しています。
同時に「結句反復法」を複合して、「間」の効果をさらに強調しています。(※ 『俳句大学 表現学部 第十一回』参照)

その結果、立て続けにボトボト落ちる状況ではなく、ポトリ……ポトリと間隔をおいて落ちるイメージが強く呼び覚まされるわけです。

 

このように、字余りを用いると、「間」を引き延ばす効果が生まれます。
逆に字足らずだと「間」を縮める効果が働くでしょう。

これが字余り/字足らずのもっとも代表的な効果です。

ほかにも、下五を字足らずとして、尻切れトンボよろしく余韻を残す用例などもあります。
時間があれば、過去の名句から字余り/字足らずに絞って用例を確かめてみると良いでしょう。

音数変化のウラにある効果を知っていると、『鬼滅の刃』の炭治郎さながらに呼吸の応用型を使いこなせます。

実際の使いどころ

最後に実際の使いどころを解説します。

「五・七・五」の定型を変調させて特殊な効果を引きだすのが字余り/字足らずの用法でした。
ただし定型詩としての韻律を維持するため、適用する位置はある程度決まっています。

もっとも用例が多いのは上五です。

とくに字余りを採用するする場合、上五で変化すると韻律を制御しやすく、効果にも開幕インパクトが加わります。

つぎに多いのが下五、そして中七でしょう。

中七は「五・七・五」のキモと言っても良い重要区画のため、この位置を変調すると韻律が失われやすいと言われています。

また音数変化の限度については、

 

の場合がほとんどです。
例外はもちろんありますが、あまり大きく限度を超えると、効果のメリットより変調のデメリットが勝りがちになります。

以上が字余り/字足らずの一般的な用法です。

字余り/字足らずまとめ

今回のまとめです。

字余りとは「五・七・五」より音数の多い俳句のこと、字足らずとは逆に少ない俳句のことを指します。

字余りも字足らずも破調の一種ですが、変調するのはたいてい上五・中七・下五のいずれか一音節のみであることがほとんどです。

また、単に音数が乱れた状態としての「字が余った」「字が足りなかった」とは、本質的にちがいます。
付加価値を生みだす意図をあらかじめ持った表現技法です。

あえて正しい韻律を変える特性上、俳句のメリットとなる何らかの効果が発揮されなくては意味がありません。
いくつかの効果のうち代表的なものは「間」です。

 

効果を最大化しつつ韻律を制御するには、使いどころを選ばなくてはならないでしょう。

以上が字余り/字足らずのまとめとなります。

よく「字余り/字足らずは一段低く評価される」と言われますが、それほど単純な話でないことが感じられたでしょうか。
もし感じられたなら、それだけで当サイトを読んだ価値は十分にあるはずです。

たしかに変調のリスクは高く、定型詩の約束ごとを超えるのは事実です。
おいそれと使えないという意味では、炭治郎がヒノカミ神楽を発動するくらい? 難しい呼吸法と言えます。

しかし、松尾芭蕉や正岡子規など、俳句の達人たちも変調を数多く試みているのは事実です。
極めれば大きなメリットがあることは、先人も認めていることになります。

ですので単純にリスキーと捉えるよりは、リスクがあるからこそ効果と必要性をよく吟味すべき表現技術と考えたほうが健全です。

そのうえで自分なりに天秤のバランスを判断すれば、適切に使いこなすことができるのではないでしょうか。

二階教室の全講義を終えて

さて、全六回にわたって解説した『俳句大学 表現学部』二階教室の講義は、これでひと区切りとなります。

いかがでしたか?
役に立ったと思う人は、コメントを返してもらえると励みになります。

一階教室に比べかなり具体的な技術に踏みこんだ内容だったかと思います。
一気読みするとパンクしてしまうかもしれません。

そんなときは、無理せずマイペースに立ちかえってください。

すべてを一度に使いこなす必要はまったくありません。
自分の料理に使う材料だけピックアップすれば十分です。

あれこれつまみ食いしているうちに、自然と引き出しも広がるでしょう。

その点、誰が何を言おうとマイペースに楽しむことを強くオススメします。

また二階教室で紹介したいくつかの表現は、超がつくほど有名な修辞技法の一部にすぎません。
「倒置法」とか「省略法」とか……俳句にすぐ役立つテクニックは、ほかにもたくさんあります。

表現方法の引き出しを増やしたい人、二階教室の内容をもっと掘り下げてみたい人は、ぜひ専門書をひもといてください。

きっといろんな興味が湧いてくると思います。