第十三回 『文章を詩にする方法って?? ――俳句の三分クッキング』

第十三回 『文章を詩にする方法って?? ――俳句の三分クッキング』
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ここからは三階教室となります。

二階教室までは初心者向けに俳句のパターンを解説しましたが、三階教室からは一般論を離れて「正解のない問題」を取り上げます。
持続的に作句している読者を対象に、「この話あなたならどう思う?」というスタンスで一緒に考えていくコーナーです。

そのため、これ以降の内容には「筆者はこう考えた」「筆者はこうやってみた」という経験則の紹介が多数出てきます。
結果的に読者の考えとズレていたり、場合によっては正反対の記事になる可能性もありますので、読み進める前にあらかじめご承知おきください。

それでは、筆者の成功や失敗の小噺をお楽しみ頂きつつ、少しでもあなたの参考になることを願って第一回を語りはじめましょう。

俳句ってそもそも何だっけ?

筆者は小さいころから物忘れが激しく、しょっちゅう傘やスマホなどの生活用品をどこかで失くしてきます。
それは俳句においても同じ。作句に熱中したり、反対に寝落ちしたりするうちに、いつの間にか原点を忘れてしまうことも珍しくありません。
そのため「俳句って何だっけ?」というスタートラインをいつも確認するようにしています。

俳句は世界一短い韻文と言われています。

「韻文」という単語が小難しいですが、辞書やWikipediaで「俳句」を調べてみると――
かならずと言っていいほど「定型詩」とか「短詩形」と定義されています。

 

引用:Wikipedia

つまり、<俳句=韻文=詩>。一定の韻律をもった詩文のことです。
裏を返せば、たとえ五・七・五の韻律を守って文章を書いても、そこに詩情がなければ俳句にあらずということになります。

これが有季定型俳句のスタートラインです。

ここまでは『表現学部 二階教室 第七回』でも語ったので、覚えている向きも多いのではないでしょうか。
けれど、問題はここから。

「俳句には詩情が必須」だとすると、そもそもどういった文章を書いたときに、それを詩と呼び得るのでしょうか?
ひとつの文章を詩文として成立させる専門的な技術を私たちは教育されていません。
今風に言うところの「エモさ」を伝統文芸の有季定型俳句で表現するには、どうしたら良いのでしょう?

ここが今日の本題です。

俳句をポエムにするために

俳句を解説するカルチャー教室やWebサイトは数あれど、「詩情をどうやって俳句にするか?」という根本的な方法論へ踏み込んだ説明はほとんど見たことがありません。
なぜなら、それこそが個人の感性で創作すべきポエムの心臓部だと考えている人が多いからです。

しかし、俳句で食べているワケでもない普通の市民にとって、詩情を自前の文章に書き起こすという芸当は容易なことではないワケで。

カルチャー教室やWebサイトでせっかく俳句をはじめても、しばらくすると超えられない壁にブチ当たる――こうした挫折を経験をする人が後を絶たないのも、まさにこの方法論を自得できないせい、と言い切ってしまって良いほどです。
最初からそれができる才能をもった天才にいくら教えてもらったとしても、残念ながら私たち普通の市民の肥やしにはなりようもありません。

では、たとえばトヨタが『カンバン方式』で部品から自動車を組み立てるみたいに、ただのサラリーマンでも言葉のピースから詩文を作り出せるようなロードマップはないのでしょうか?
「個人の感性」でなく「一般化された手法」として。
 

もしも詩情を文章に組み立てる方法論があるのなら、私たちはそれを知っておいて損はないはずです。

そこで、ここでは筆者がよく用いる代表的な手法をひとつ紹介しようと思います。

四角いモノを丸くする

ある情景や事物に宿った詩情を文章で表現する――そのもっともシンプルな方法は「四角いモノを丸くする」ことです。
 

最たるところでは、「見えないモノを見えるモノに置き換える」といったやり方になるでしょうか。
分かりやすい例を挙げると、具体性のない概念的な季語を採用した上で、「もしもこれを色や形で言い表したらどうなるだろう?」と考えてみる感じです。

実際の例句を挙げて確認してみましょう。

 ・ 待春のかたちに乳歯生え出づる 豊島月舟斎

とある飲料メーカーのコンテスト入選句ですが、こんな感じで実際には見えない季語へ具体的なカタチを与えてあげると、お手軽に詩文の体裁が整います。
目前の光景にどんな詩情を感じたか、季語の力で読者に想像してもらう書き方です。

加えて、このやり方は「一般化された手法」に当たりますので、さまざまな応用が考えられます。

たとえば、視覚のかわりに嗅覚へ置き換えた場合――

 ・ 秋愁の匂ひをひさぐ古物商 豊島月舟斎

……となり、やはり匂いのない季語へ無理やり匂いを付けることによって、読者の想像力を刺激する文章ができあがります。
こんな匂いを売りものにしている古物商でショッピングしたいかは別として、どんな店構えでどんな商品が置いてあるか、嗅覚を超えたところまでイメージが広がれば、まさに筆者の狙い通りに詩情が伝わったと言えるでしょう。

やり始めるとキリがありませんのでここまでにしておきますが、こんな要領でいくらでも作り出すことができます。

三分クッキングのようなものですので、ためしに目の前の物で一句考えてみてはいかがでしょうか?
「詩作」という大仰な作業がちょっとカンタンになったと感じられたら大当たりです。
 

まとめ

「俳句はかならず詩文でなければならない」という定義に沿って、どういう文章を書けば詩と呼び得るのか、具体的な方法を検討してみました。

やり方が無限にあるのは分かっています。
しかし、練達の俳人・詩人でないかぎり、毎度オリジナルな表現を発想し続けるのは極めて困難です。

そこで、誰でも利用できる一般化された手法として、「四角いモノを丸くする」という筆者の例を紹介しました。

要点をまとめると、具体性のない季語に具体的な五感情報を結びつけるという手法です。

あくまで筆者が使う手法のひとつですので、これが正解というわけでも、お手本というわけでもありません。
ただ、詩作の引き出しにあると重宝する機会はあるかもしれません。

この記事を読んでいるような人であれば、おそらくこうしたロードマップをいくつか胸の裡に持っていることでしょう。
もし句会等でご一緒する縁に恵まれましたら、ぜひお互いに胸襟をひらいて語り合えれば、これに勝る喜びはありません。