第三回『託して安心! パワーワード「季語」』

第三回『託して安心! パワーワード「季語」』
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みなさんこんにちは。
『俳句大学 表現学部』の第三回講義です。

前回の講義では、
「俳句とは写生である」
という格言の意味を解説しました。

俳句においては心の動きを「文字で表さず、事物の見せ方で表す」というイメージがつかめたと思います。

そこで今回の講義ですが――

ここを読んでいる人は、前回のテーマである「わたしの気持ち、どんな言葉で切り取れば良いの?」という疑問を引きずっている最中かと思いますので、今回は解説の基本をはずれ、先に答えから始めたいと思います。

気持ちは季語に託そう!

俳句の世界では、心の動きはすべて、とある言葉に託せば良いことになっています。

それが季語です。

悩む必要はまったくありません。
大船に乗ったつもりで、安心してすべてを託してください。

……ひどく雑なまとめ方をしているように聞こえるかもしれませんが、季語は俳句の支柱と言うべきもの。
初めのうちは何も考えず、ただ季語に任せておけば、それだけで気持ちの入った一枚の写真が完成します。

季語には、いわば撮影した写真の見え方を決める力があるからです。

 

丸投げ俳句の例

季語がどれほど絶大な力を持っているか、実際に見てもらうために一句詠んでみます。

 ・ 喫水の深き舟着き寒明けぬ  豊島月舟斎

季語は「寒明け」で初春。
「わたしの気持ち」はどこにも書かれていませんが、この一枚の写真から、暖かくなって大漁旗を掲げる舟、陽光にきらめく航跡、入港で活気づく春先の岸辺、力強い季節の移ろい……など、感受性を共有できる人は多いかと思います。

筆者が書いた内容と言えば、ただ「喫水の深い舟が入港したよ」ということだけ。
あとは「寒明け」が勝手に脚色しています。

これが季語の力です。

 

俳句では常に季語が力を貸してくれるので、どんな言葉に気持ちを込めれば良いか、悩む必要はありません。
天性の文才とか、文学的センスとか……、そういったものがなくても俳句を詠める所以です。

――そんな乱暴に言い切っていいの?
そう思う向きもあるかもしれませんが、逆に「自分にはセンスがない」と思う人ほど、完全に丸投げ、他力本願に徹するべきである、というのが筆者の結論です。

俳句を写生とするなら、一番大切なメッセージテラーを季語がやってくれるということになるでしょうか。
俳句は最初からそういう風にできています。
だからこそ、誰でも気軽に楽しんで良い文芸なんですね。

季語のパワーまとめ

今回のまとめを一口で言うと、
「気持ちは季語に託す」
ということになります。

ここまで来れば、もう次のテーマは予測できるかもしれません。
次回はいよいよ、自分の気持ちに合った季語の見つけ方について解説します。