第四回『どれにしようかな季語』

第四回『どれにしようかな季語』
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みなさんこんにちは。
『俳句大学 表現学部』の第四回講義です。

前回の講義では、
「わたしの気持ちは季語に託す」
という表現方法編のまとめをしました。

しかし、肝心の選び方についてはまだ未知数です。
そこで、今回は表現したい気持ちに合った季語の見つけ方をアドバイスしていきます。

季語で炎上!?

ちょっと下の例句を見比べてみてください。

 ・ 新緑を描くカンバス宿の窓  豊島月舟斎
 ・ 荒梅雨を描くカンバス宿の窓 同改

新緑、荒梅雨、どちらも夏の季語ですが、全然違う情感が見えてきませんか?

前者だと、旅装を解いたひとときの爽やかな気分を感じられると思います。
一方、後者だと、そもそも旅の目的からして不穏な印象をぬぐえません。作者は逃避行の最中でしょうか……?

 

こういう俳句は「季語が動く」と言って本来よろしくありませんが、季語ひとつでまったく違う情感がこもる実例は見てもらえたと思います。

このように、「わたしの気持ち」をどの季語に託すかは、俳句を詠む上できわめて重要なチョイスです。
楽しいのか、美しいのか、寂しいのか、許せないのか……、まずは自分が表現したい気持ちを確認することが大切です。

そのうえで、気持ちを託す季語を探し当てれば良いだけなのですが――

本意で季語選び

歳時記を調べだすと、こんな疑問に出くわす場面があります。
「なんか良く似た季語がいっぱいあるんだけど……?」

そうなのです。
季語には一見何が違うのか分からない言葉がたくさんある上に、『傍題』と呼ばれる変化バ―ジョンも存在します。

例句で比較した新緑と荒梅雨のように、明らかに性質の違う季語であれば、イメージを使い分けるのは難しくありません。
しかし、良く似た季語がふたつ見つかって、どちらが自分の言いたいことに適しているか迷った場合、初心者には判断のつかないことがあります。

そんなときはどうしたらいいのでしょう?

ここで知っておくと得する言葉があります。
それが『季語の本意』です。

――季語は歳時記に載っているけれど、その本意とはいったい何なのか?
――なぜ、それを意識すると得するのか?

次回、そのあたりを説明したいと思います。