第九回 『この俳句、何人称? ① 主格の省略』
- 2021.07.08
- 文法学部 二階教室
みなさんこんにちは。
『俳句大学 文法学部』の第九回講義です。
前回は
「季語(詩情)の性質にあった構文のコンセプト」
について解説しました。
今回および次回は、
「俳句の人称」
をテーマに、視線の引き方を考えます。
ここまでを俳句の設計図とすれば、ここからは製図法ということになるでしょうか。
俳句は情景を描写するツールですので、どのように視線を引くかで構図が大きく変化します。
一回目は「主格の省略」。
一人称、二人称、三人称の例句をもとに、それぞれの視線を検証してみましょう。
俳句に主格がないのはテンプレ!?
目の前に一冊の小説があるとします。
そこに書かれた文章を読むとき、いったい誰(何)についての話なのか、どうやって判断するでしょうか?
たとえば、
「その子供は、明治から続く割烹の長女として生まれた。」
なんて書き出しなら、ふつうは「その子供」の逸話として続きを読みますよね。
語り部が子供自身だとしても、べつの誰かだとしても、展開の中心は変わりません。
つまり、主格になっている固有名詞や代名詞から、誰(何)についての話なのか判断するわけです。
たいていの散文は、このように主格の情報を起点として、そこから八方へ視線を引く仕組みをとっています。
ところが――
韻律をもつ韻文、とくに俳句の場合は、かならずしもそうはなっていません。
なぜなら俳句の韻律は十七音しかなく、固有名詞や代名詞をすべて記述するスペースが存在しないためです。
そこで、主格の名詞や格助詞などを「言わずもがな」に判断できる場合は、一部または全部を省略して、読み手に解読を丸投げすることがあります。
主格で状況を把握する散文に対し、状況から主格を推定するリバースシステムと言えるでしょうか。
俳句の多くはこの仕組みで成り立っています。
視点を推理する楽しみ
具体的にはどんな風に省略されるのでしょうか?
ためしに小説の一場面を切りとって、散文 → 俳句に置きかえてみましょう。
「薄れゆく送り火を見つめながら、私は娘に祖父のレシピを伝える決心を固めた。」
この文章を俳句にしてみます。
主格に注目してください。
この一節の主語は「私」です。
したがって、視線は「私」から「娘」へ向かう矢印の形をしています。
これを俳句にすると――
・ 送り火や娘へ託す祖父の味
くらいになるでしょうか。
「私は~」という視線の起点が文中から完全に無くなってしまいました。
まさに主格が省略されています。
しかし、詠み手自身を主格としているのは文意を見れば明らかでしょう。
わざわざ文字にしなくても視線の矢印が思い浮かぶ――こうした視線の引き方が丸投げ俳句の一例です。
起点となる主格を故意に省略する点で、ある意味、推理小説に使われる叙述トリックに似ていると言えるかもしれません。
「誰についての話なのか?」は、状況から読者が想定することになります。
このように固有名詞や代名詞を省略して、音数のスペースを積極的に確保する仕組みは、俳句の常套手段です。
ささいな単語を言い換えるより、ずっと効率的でもあります。
例文では分かりやすいように一人称の主語を省略しましたが、もちろん二人称、三人称にも応用が効きます。
以下に達人の例句を挙げて、どんなふうに応用しているか確かめてみましょう。
・ 草の戸に名刺を貼りて松の花 富安風生
一人称の人代名詞を省略した例です。
名詞を貼っているのは自分自身だと「言わずもがな」に分かります。
・ 蛾を厭ふ面そむくる病臥かな 富安風生
二人称の人名、あるいは人代名詞を省略した例です。
本句は「あなた」が顔をそむけるくらいしかできないほど衰弱した情景を描写しています。
「厭ひ」でなく「厭ふ」と客観視した活用がポイントと言えるでしょう。
・ 泡一つ抱いてはなさぬ水中花 富安風生
三人称ですが、今度は主語となる名詞だけを残して「~がある。」という格助詞と自動詞を省略した例です。
「体言止め」と呼ばれる修辞技法のひとつで、文法的には事物である「水中花」を主語としています。
二人称とおなじように「私」は情景の描き手にすぎず、文中に登場しません。
いずれも主格に関わる品詞を省略した視線の引き方になります。
主格の省略まとめ
今回は俳句の人称をテーマとして、主格の省略がどのように行われるかをまとめました。
俳句は韻文としての韻律を維持するうえで、散文にある主格を省略することがあります。
・主語となる固有名詞や代名詞。
・主格をあらわす「~は」「~が」などの格助詞。
いずれも省略して、誰(何)についての話なのか、読者へ解読を丸投げする仕組みです。
ただしその結果、視線の起点が判別できなくなっては意味がありません。
どの立場から書いた文章なのか、万人に伝わるよう視線を引く必要があるでしょう。
以上となります。
次回は「俳句の人称」の続きで、逆にあえて代名詞を使う場合の効果について解説します。
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