第十回 『この俳句、何人称? ② 人代名詞の効果』

第十回 『この俳句、何人称? ② 人代名詞の効果』
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みなさんこんにちは。
『俳句大学 文法学部』の第十回講義です。

前回は
「俳句の人称」
をテーマに、主格の省略について解説しました。

今回は続編として、人代名詞を使う場合の効果を説明します。

あえて俳句に代名詞を書くと……?

まずは前回のおさらいから始めましょう。

ある文章の内容から「誰についての話か?」を推定できる場合、たとえ何人称であっても主格を省略するのが俳句の常套手段でした。
どこからどこへ視線が向かっているか、読み手に解読を丸投げしてしまうシステムです。

これは音数の少ない定型詩ならではの文法テクニックとして、第九回講義で解説しました。

一方、それとは逆に、あえてハッキリと代名詞を記述する方法もあります。

今回のタイトル『人代名詞の効果』を狙った表現です。

一音でも省略したい俳句に何音分もの代名詞を使うとは……矛盾しているように聞こえますが、いったいどういうことでしょうか?

どんな代名詞をどんなケースに使うの?

基本的に「省略できるものは省略したい」のが俳句ですから、ただ代名詞を書きこめば良いという話ではありません。

ここで説明するのは、代名詞のなかでも特定の「人物」をあらわす人代名詞と呼ばれるものです。
代表的な例として、「私」や「彼」といった単語が挙げられます。

前回とおなじように主格の主語として使われますが、それ以外の語格にも使われます。
それだけに応用範囲は広く、採用のハードルはむしろ高くなると考えて良いでしょう。

では、どういう場合に人代名詞を使えば良いのでしょうか?

いくら人代名詞に使いみちがあると言っても、玉石混交に採用して俳句本来の韻律が乱れてしまっては、本末転倒と言わざるを得ません。

したがって、使いどころを厳選する必要があります。

そこで重要になるのが、「あえて音数を割くだけの価値があるかどうか?」という判断です。

デメリットに対して相応のメリットを得られるか――それが人代名詞を採用するか否かの分岐点になります。
何音分もの音数を支払う以上、具体的なリターンがなければ、無駄遣いになるリスクを負っているとも言えるでしょう。

つまり人代名詞をあえて用いるメリットとは何なのか、私たちはあらかじめ把握しておかなければならないわけです。

人代名詞のメリットとは?

一般的に人称を指定する言葉といえば、固有名詞や代名詞などの体言を指します。

このうち固有名詞は表記に選択の余地がなく、文章に登場させようと決めた時点でそのまま書くしかありません。

一方、代名詞の場合――とりわけ人代名詞の場合は、さまざまな表記の仕方を通じて、それぞれに特有のイメージを想起させる効果があります。

たとえば、小説や随筆で一人称といえば、ふつうは「私」や「僕」といった代名詞を思い浮かべるでしょう。
でも、もしそこで「儂」という一人称が使われていたら……?

ふつうは老紳士の語り口を思い浮かべますよね。

 

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ほかにも「我」「吾」「小生」「俺」……など、言い方しだいでそれぞれ違ったニュアンスを醸しだします。

そうした特性を活かして詩精神を表現するのが、あえて俳句に人代名詞を使う意義です。

英文ならぜんぶ ” I – my – me ” で済むところ、和文には多彩な言い方があるがゆえに可能な芸当と言えるでしょうか。
ある人物像にふさわしい人代名詞を用いることで、より深い詩精神を付加できる可能性が広がるわけです。

これは二人称、三人称でもおなじことが言えます。

人代名詞を効果的に用いた達人の俳句を読めば、単なる人称の指定を超えたメリットを感じとれるでしょう。

一人称/二人称/三人称の実例を挙げますので、ぜひ一緒に具体的な効果を確かめてみてください。

一人称の人代名詞

最初は一人称です。

さきほど例示したように、一人称の人代名詞には「私」「僕」「儂」「我」「小生」……など、じつにさまざまな言い回しがあります。
これらは実際の俳句でどのように効果を発揮しているでしょうか?

例句を見てみます。

 ・ 着ぶくれて固く己を守りけり 富安風生

使われている人代名詞は「己(おのれ)」。
ちょっと時代がかった言い回しですが、自分を意味する一人称です。

本句では、この「己」という特殊な人代名詞を明記したことにより、「わが身」の概念を超えた「魂」にまで言及しています。
本来「着ぶくれ」という季語は物理的な状態をあらわす言葉ですが、人代名詞があるおかげで、身体の防寒のみならず精神まで鎧い尽くした状態を想起するわけです。

こうした用例を

と呼びます。

反射指示は一語で人称と暗示とを両立しうるため、音数の少ない俳句では非常に重宝されます。

用例のひとつとして、覚えておいて損はないでしょう。

二人称の代名詞

つづいて二人称です。

例句を挙げるまえに、二人称の人代名詞にはどれくらい種類があるか、ちょっと思い浮かべてみましょう。

パッと思いつくのは「あなた」かもしれません。
おそらく多くの人が真っ先に思いつくのではないでしょうか。

しかし、これを文字に書きあらわすと、「貴方」と書くか「貴女」と書くかで、音はおなじでも性別の違いを表現できます。
これだけでも二種類あるわけです。

ほかにも「君」という言葉が一般的に用いられているかと思います。

詩の世界で「君」といえば、ふつうは異性の想い人を指します。
俳句も詩のひとつですので、相手を考えて使えば、愛情深い一句を詠めそうです。

さらに、古めかしい二人称のなかには「汝(なんじ/な)」や「其方(そなた)」などもあります。

こうした表現には凛とした味わいがあるので、上手く使えば歴史感、重厚感を添えるのに役立つでしょう。

……このように、代表的な二人称をいくつかピックアップしただけでも、かなり多彩な言い回しがあります。
そして、それぞれが持つ言葉のニュアンスは各個に異なります。

これらが実際にどう使われているか、さっそく例句を見てみることにしましょう。

 ・ こゝを入る柳小路を君知るや 富安風生

人代名詞は「君」。
想い人をあらわす二人称です。

本句の場合は、ご内儀をしてかく言いあらわしたと思われますが、誰が対象だったとしても、じんわりとした慈しみの思いを「君」の一語に託した句と解釈できます。

中心にあるのは柳小路の麗しさですが、読み方によっては「今度ここに君を連れてきてあげよう!」というところまで共感の翼がひろがるかもしれません。

読み手がそうした共感を抱けるのは、あえて「君」という二人称の人代名詞を使っているからです。

他人の作品を改作してはいけませんが、もしこれが「妻 」や「人」だったらどうなるか、ちょっと想像してみてください。

どことなく引いた視線――あるいは冷めた視線――に感じられませんか?

それでは作者の温かな胸の内が台無しになってしまいます。

作者の詩情が温度を失わないためには、どうしても「君」とする必要があります。
その意味では、人代名詞の必然性をうかがい知れる一句と言えるかもしれません。

三人称の代名詞

最後は三人称です。

三人称の人代名詞はズバ抜けて数が多いです。

もっとも一般的なのは「彼」「彼女」ですが、極端な話、「あの人」「その人」とか、「あいつ」「そいつ」、「あれなる」「それなる」のように、なかば指示代名詞に足を突っ込んでもすべて人代名詞に含まれ得ます。
ぶっちゃけいくらでも作り出せるのが三人称です。

いずれにしても、一人称/二人称と同様、単語のニュアンスを俳句の詩精神に活かす点が重要なのは変わりません。

問題は客観性が強くなりやすいこと。

それ自体はプラスにもマイナスにもならない特性ですが、俳句は写生の定型詩です。
工学の図面を引くわけではないので、散文的になって写生から詩情が損なわれては逆効果になってしまいます。

客観性が強くなりがちな特性をどう詩精神に反映すれば良いか――そこが三人称の思案のしどころです。

上手なやり方を達人の例句に教えてもらうことにしましょう。

 ・ スキー履きこの子可愛や家はどこ 富安風生

人代名詞は「この子」。

突き放したような言い方をわざと取り入れて、自分と子供の距離感を巧みに表現しているのが分かるかと思います。

本来は何の関りもない子供でしょう。
だからこそ、逆説的に「可愛や」「家はどこ」という直截な思いやりの言葉が共感を呼び起こす仕組みです。

本句は富安風生の代表作のひとつに数えられており、三人称人代名詞を効果的に使った最高の例のひとつと言っても過言ではありません。

どう適用するか悩んだときは、手本にすると良いのではないでしょうか。

人代名詞の効果まとめ

最後に、今回の解説をざっくりとまとめましょう。

俳句には、あえてハッキリと代名詞を記述する手法があります。

そのひとつが人代名詞の採用で、一人称/二人称/三人称すべてが適用範囲に含まれます。
語格も問いません。

人代名詞を俳句に記述するには、相応の音数を割く必要が生じます。
俳句は十七音しかなく、散文に比べると文中に占める単語の比重が相対的に大きくなるため、韻律を保つのが難しくなりやすいというデメリットを持っています。

一方で、和文の特性として人代名詞はバラエティに富んでおり、TPOに応じて使い分けることで、各個に微妙なニュアンスの違いを表現できます。
その結果、単なる人称の指定に留まらず、俳句に詩情をもたらす効果を期待できます。

この付加価値が、あえて人代名詞を記述するメリットです。

俳句に人代名詞を取り入れるかどうかは、このデメリットとメリットを天秤にかけて個別に判断する必要があります。

どうやって効果を最大化するか、過去の例句のなかにヒントが詰まっている場合があるので、参考にすると良いでしょう。

以上となります。