第四回『俳句の分かれ道 文体①』
- 2021.04.03
- 文法学部 一階教室
みなさんこんにちは。
『俳句大学 文法学部』の第四回講義です。
ここから新シリーズが始まります。
テーマは「文体」。
俳句における文章の体裁を、全二回に分けて説明したいと思います。
「文体」を一階教室でとりあげた理由は、それが俳句に深くかかわる文法だからですが、同時に地下迷宮のごとく迷いやすい難題だからでもあります。
しかも選択をまちがうと即座に頓死……という初見必殺のおそろしい分岐点でもあります。
分かれ道に差しかかったとき、選択に迷わないためにも、ここで聞いておく価値は十分にあるでしょう。
ぜひ攻略法をマスターしてダンジョンに挑むことをお勧めします。
それではさっそく攻略スタートです。
分かれ道出現! 文語体と口語体
文体とはいったい何でしょうか?
一口で言えば、「昔しか使わなかった言葉」と「今も使われている言葉」の二種類を指します。
専門用語では、それぞれ「文語体」「口語体」と呼びます。
文体にはこのふたつのバージョンが存在します。
ところで、文法的なことが苦手な人でも、
「白きブラウス」 = 「文語体」
「白いブラウス」 = 「口語体」
というイメージは何となく思い浮かぶのではないでしょうか。
実際イメージの通りで、たとえ書き言葉であっても、現在の日本語の文体はすべて「口語体」に分類されます。
「口の語」と書いて「口語体」なのに、文字もそこに含めるのだから、こんがらがって当然ですよね。
これが文体という線引きを分かり辛くしている原因です。
要するに、今のわたしたちは「おしゃべりの言語」だけでなく「文字で書く言語」にも「口語体」しか使っていません。
専門的な文法用語に惑わされることなく、
<現代日本語には「口語体」しか残っていない>
と丸暗記してしまったほうが分かりやすいでしょう。
なぜ俳句だけ文体がふたつ?
上記の通り、いまどき「今日の白きブラウス可愛いでしょ?」とは言い表しませんし、書き表しもしません。
にもかかわらず、俳句では普通に「文語体」も使います。
ためしにテレビや新聞を見てください。「文語体」と「口語体」両方の俳句がちゃんと出てきます。
どうして俳句だけ文体の使い分けがあるのでしょうか?
これには、俳句の成立した経緯が大きくかかわっています。
じつは、「文語体」が使われなくなったのは日本の歴史上ごく最近のことです。
明治時代に『言文一致運動』というものが起き、さらに戦後『標準語政策』が推進されたことによって、すべての文体が「口語体」に統一されました。
この結果、日常生活だけでなく、文学の世界からも「文語体」は完全に消し去られました。
いわば日本人みずからの手でこれまでの日本語を抹消したようなものです。
ところが、このときどうしても単純に統一できないものがひとつだけ存在しました。
それが定型詩――つまり短歌や俳句です。
定型詩は「文語体」の申し子!
定型詩の誕生は、奈良・平安時代の和歌にさかのぼります。(※『文法学部 一階教室 第一回講義』参照)
言うまでもなく、当時の世のなかは「文語体」で読み書きしていました。
このため、五音・七音……という独特の韻律は、「文語体」に見合った身の丈をしています。
もし「文語体」で発展した定型詩を「口語体」へ統一してしまったら……、成立から内包している文学としての美点を丸ごと失ってしまいますよね。
だから定型詩にかぎっては、あえて「文語体」と「口語体」両方の文体を認めたのです。
これが、俳句に二種類の文体がある理由です。
ある意味、俳句は韻律を持っていたおかげで「文語体の大粛清」を生き残ったとも言えるわけですね。
文体まとめ
文体のまとめです。
文体には、
「文語体」
「口語体」
の二種類があり、普段わたしたちは「口語体」しか使っていませんが、俳句は「文語体」も使います。
次回は「文語体」と「口語体」の違いと使い分けについて説明します。
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