第十ニ回 『俳句の結び ② 句末連体止めのすべて』

第十ニ回 『俳句の結び ② 句末連体止めのすべて』
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みなさんこんにちは。
『俳句大学 文法学部』の第十二回講義です。

前回は「用言を使った俳句の結び方」をテーマに、
「句末連用中止法」
を解説しました。

今回はその続編として、
「句末連体止め」
と呼ばれるテクニックを取り上げていきます。

この講義を読めば、俳句を締めくくる用言の使い方をおおむね把握できます。

 

ほかに命令形をとるケース(擬人法との組み合わせに多い)もありますが、良く使われる文法としては、上記『三種の活用形』を嚆矢とするでしょう。
パターンで覚えられるテクニックとしては、これだけ引き出しを持っていれば十分と思われます。

それでは「連体止め」の解説を進めていきましょう。

連体形で文章が終わっているけれど大丈夫?

前回の句末連用中止法が「連用形でブツ切りになっている」かに見えたのと同じように、「連体形でプツンと終わっている」俳句も多数存在します。

たとえば――

 ・ 麦畑は火のつきさうに乾きをる 夏井いつき

 

一見、これまた尻切れトンボな文章に見えますよね……。

文法的に言えば、「をり」という動詞の連体形(体言に連なる活用形)に対し、照応する体言が明記されていません。

これは連体止めと呼ばれる省略法の一種です。

かならず「主語+用言の連体形」という構文になり、おなじ省略法である連用中止法と使い方が似ています。

違うのは、うしろに省略されている言葉が「ことよ」になるところ。

 ・ 麦畑は火のつきさうに乾きをる(ことよ)

こうして補って読むと、文意をはっきりと感じ取れるようになります。

連体止めのパターンはこれだけなので、その都度TPOにふさわしい用言を省略する連用中止法よりも、シンプルで覚えやすいかもしれません。

以上が連体止めの基本的な用法となります。

連体止めの効能やいかに?

ところでこの連体止め、どこか切れ字「かな」に似た詠嘆を感じませんか……?
(※ 『作り方学部 二階教室 第九回』参照)

実はそのとおりで、連体止めの効果も「余韻」や「反芻」であると言われています。

句末の切れ字「かな」は、基本的に体言(名詞)または用言の連体形にしか接続しません。
つまり句末連体止めとは、ちょうど「かな」に接続すべき用言の連体形がそのまま結びに位置したテクニックと捉えることができます。

そう考えると、まったく新しい文法というよりは、今までの知識の延長線上にある手技のひとつにすぎないと言えるでしょう。

ただ、そうは言っても、
「それなら連体止めさえあれば切れ字なんて要らなくない?」
と考えるのは早計です。

あくまで用法を理解するのに都合が良いという話で、文学的な余情の質という面ではまったく異質なものだからです。

具体的にどう違うかと言うと――

「余情は余情でも本質が違う」
と言えば良いでしょうか。

 

筆者の経験や感覚を言葉にするなら、

 ・切れ字「かな」 じんわりと心に沁み入る反芻をともなった静的な余情
 ・句末連体止め  言い尽くせない思いがぐるぐると渦まく動的な余情

と使い分けていますが、単語としてはどちらも「余韻」や「反芻」と書きあらわすことになるため、似たもの同士に見えるわけです。

こうした概念的な差違をひとつの単語だけで理解するのは、とても困難と言わざるを得ません。
インターネットで調べれば分かるという種類のものでもありませんので、誰かに教わるか、繰りかえし例句を読んで自分なりに感得するしかないでしょう。

さしあたっては、切れ字には切れ字の、連体止めには連体止めの使いどころがある……と区別しておくのが適切です。

連体止めは使いどころが肝心!?

ここまでの解説で、句末連体止めの使い方や効能については、おおむねイメージが湧いてきたかと思います。
すぐに句作へ活用できる向きもあるのではないでしょうか?

しかし用言とは本来、終止形で結文するのが日本語の正しい文法です。

 

したがって、どんな文章にも連体止めを適用すれば良いというわけではありません。

連体止めにするのが適切な文章、終止形にするのが適切な文章と、それぞれ適性があります。

そこで最後に、どのようなケースで句末の用言を連体形に活用すべきなのか、使いどころを整理しておきましょう。

次のクイズを見てください。

これから『サッカー吟行』をテーマに投句するところです。
ただ、句末の用言をどう活用するかで悩んでいるとします。

次のふたつの推敲句を見比べて、どちらの活用形が適切だと思いますか?
あなたの決断で一方を選句してみてください。

判断のポイントは「主語の位置」です。

 ・ ロスタイム二分の守備に風死せり (終止形)
 ・ ロスタイム二分の守備に風死せる (連体止め)

例によって、答えから先に述べましょう。

本句の主語は「風」ですが、このように主格が用言の直前にある文章は、たいてい終止形にするほうが適切です。

ですので、正解は「風死せり」となります。

それはなぜでしょうか?

繰りかえしになりますが、連体止めとは「余韻」や「反芻」を込めるテクニック。
それゆえ、主格が遠くに離れている場合や、省略されている場合ほど本領を発揮しやすくなります。

言い換えると、上記のように主格が用言の直前に位置する俳句では、「余韻」や「反芻」の生まれるスペースが不足ぎみです。

結果、ふつうに終止形で言い切るほうがスッキリとした姿になりやすいのです。

もうひとつ、べつの例を見比べてみましょう。

 ・ ひぐらしに友と家路を分かちたり (終止形)
 ・ ひぐらしに友と家路を分かちたる (連体止め)

……今度はいかがでしょうか?

この例句は、いわゆる「視線の起点が文中にない俳句」です。
文法学部 二階教室 第九回』で解説したように、「わたし」という主格が省略されています。

今度のケースでは、連体止めにすると効果がバッチリ活かされますよね!

このように、連体止めとは「何でもかんでも使えば良い」というものではなく、余情を残すべき内容かどうか、適用するにふさわしい構文かどうか……を分析して、使いどころを選定すべきテクニックであると結論できます。

句末連用中止法まとめ

今回のまとめです。

句末連体止めは、俳句の句末に連体止めを適用するテクニックです。

活用語を連体形とすることで、「余韻」や「反芻」を想起させ、詩情をふくらませる狙いがあります。

一方で、原則どおり終止形とした場合に比べ、質的に適正かどうか、構文的に適切かどうかを一文ごとに吟味する必要があります。
単純に適用すれば良くなるという技法ではありません。

まずは終止形で結んだ推敲句をならべてみて、両者を見比べたうえで使いどころを選定すると良いでしょう。

以上となります。

二階教室の全講義を終えて

さて、全六回にわたって解説した『俳句大学 文法学部』二階教室の講義は、これでひと区切りとなります。

いかがでしたか?
役に立ったと思う人は、コメントを返してもらえると励みになります。

二階教室では、『作り方学部』も『表現学部』も『文法学部』も、ひとしく具体的なテクニックを箇条書きにして紹介しました。

これは当サイトが「読めばひとまず俳句を分かるようになる」ことを目的としているためです。

こうしたテクニックはしょせん小手先の技術にすぎず、作句において本当に大切なのは、むしろ詩精神そのものの構想です。

もし、洗練された表現なのに中身のない俳句と、不格好でも詩情ゆたかな俳句があったなら、筆者は迷わず後者を採るでしょう。
ツールはあくまでツールにすぎない……という点は忘れないでください。

しかし、ツールを知らなければ理解できない俳句というのは確かに存在します。

ですので例句をたくさん読めるように、あえてテクニックの紹介を優先したわけです。

良句を数多く目にすれば、その分だけ句力も自然と向上します。

この記事を読んだことで、以前分からなかった俳句がひとつでも賞味できるようになれば、それだけで儲けものです。

ぜひこのサイトを通じて、会ったことのない俳人の言葉に出会ったり、ずっと前に亡くなった俳人と会話する機会にしてもらえれば……と祈念する次第です。